第三十六話「3つの約束」
「皆さん、初めまして。櫻井道元と申します。これから皆さんと一緒に働くことになりました。どうか、よろしくお願いいたします。」
フロントバックオフィスに集まったスタッフを前にして、道元は挨拶をした。笑顔で道元を見つめるもの、緊張した面持ちで直立不動な姿勢になっているもの、怪訝(けげん)そうな顔をしているもの、うつむき加減で顔を背けているものなど、スタッフの様子はばらばらだった。本日集まっているスタッフは総勢で50名ぐらいであろうか。パート社員も入れると150名ほどの陣容と聞いていたので、全体の3分の1程度が集まっていることになろうか。
「最初から堅い話で申し訳ありませんが、私から3つの約束についてお話しさせて下さい。この3つの約束を、このホテルとして実行していきたいと考えています。」
そう切り出すと、道元は笑顔のまま目の前に立っているスタッフを一通り見回した。
「まず1つめは、ホテルのおけるサービスは全てお客様のためにあると言うことです。これまでのやり方にこだわることはありません。お客様のために良いと感じたことはどんどん実行して下さい。2つめは、オペレーションにおけるムダ、ムリ、ムラは徹底的に排除して下さい。お客様の見えないところでは、どんどん効率化を進めて下さい。皆さんのこれまでの仕事内容を全て見直して下さい。最後の3つめですが、当ホテルに個人プレーは必要ありません。たった一人のすごいサービスは必要ありません。それよりも、ここにいらっしゃる皆さんが、チームとしてすごいサービスを提供することを心がけて下さい。仲間を大切にして下さい。」
道元は、端にいるスタッフにも良く聞こえるよう大きな声で、ゆっくりと話した。スタッフ達はおとなしく道元の話を聞いているようであった。
「道元社長。私は、カフェを担当しているアシスタントマネージャーの志村奈々と申します。1点だけ質問させて頂いてよろしいでしょうか。」
先日、カフェで手作りチョコチップクッキーを勧めてくれたスタッフだった。道元が大きく頷くと、志村は話し始めた。
「3つめの話なのですが、結局サービスは一人一人が行うものなのではないでしょうか。ですから、スタッフ一人一人のサービス力を上げていくことが大切で、チームとしてサービス力を上げていくと言うことがよく分からないのですが。」
「もちろん、その通りです。一人一人のサービス力を上げていかなければなりません。しかし、その先を見据えたときに、一人一人のサービスには限界があります。たとえカフェで志村さんが良いサービスを提供したとしても、他部署でのサービスが良くなかったり、カフェで気さくなフレンドリーなサービスを提供しているのに、レストランでは堅苦しいサービスを提供していたりしたらどうでしょうか。カフェで失敗しても、フロントでそれをカバーしてくれたらどうでしょうか。お客様が感動するレベルはどうですか。一人一人よりもチームで一体感を持って、連携してサービスする方がもっと感動しませんか。私は、そのようなことが当たり前に出来るホテルを目指したいと考えているのです。」
道元が、赴任して最初からこのように3つの約束をスタッフに話すことは珍しかった。また、志村からこのような質問を受けたことも嬉しいようであった。そうして道元は、笑顔でフロントバックオフィスから出て行った。
つづく