第二十話「朝食のパントリー」
いつものように道元は、7時に出勤してからすぐに館内を巡回し始めた。時間の前後はあるものの、必ず行う日課であった。社長自ら行うことはないのだが、どうしてもホテル総支配人時代の癖が抜けなかったのだ。いや、逆に毎日巡回しないと不安で仕方がないというのが正直なところであった。
「早樹ちゃん、どうしてなの。理由を言ってちょうだい。」
3階のパントリーから、若手の仲居の声が響いた。
「私、もう嫌なんです。何もかも嫌になっちゃったんです。」
「早樹ちゃんは、旅館で最高のサービスがしたいと言って、この旅館に来たんでしょ。その夢を捨ててしまっていいの。あなたからここに飛び込んできたんじゃないの。」
「・・・。」
「私はあなたのたった3年先輩だけど、早樹ちゃんの頑張っている姿を見ると、くじけそうになっても、頑張ろうと思えた。」
「美子さん。ありがとうございます。そんな風に私を見て頂いていたなんて・・・。でも、私は・・・。」
「ごめんな、取り込み中。」
パントリーに、道元はぬっと入っていった。
「道元社長・・・。あっ、おはようございます。」
美子と早樹は揃って挨拶をした。
「いや、ちょっと前を通りがかったら、美子さんと早樹さんの声がしたものでね。」
二人は顔を下に向けたまま、少しも動こうとしなかった。料理を運ぶダムウェーターが忙しく上下に動く音だけが狭いパントリーに響いていた。
「早樹さん。私にも話を聞かせてくれないか。何か悩みごとがあるんだろう。」
「いえ、私は何も・・・。失礼します。」
「えっ、ちょっと待って。」
早樹は、勢いよくパントリーを飛び出した。美子は、道元の顔を少しすまなそうに見てから後を追うように出て行った。
お部屋での朝食が終わった食器やお膳が、無造作にテーブルの上に置かれてあった。メインであるはずの、食べかけの地魚の焼き物がお皿の上に無機質に積み重なっていた。
つづく